大判例

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東京高等裁判所 昭和40年(う)872号 判決

被告人 久野新一 外一一名

主文

原判決を破棄する。

被告人久野新一を懲役二年に、

被告人池田一夫を懲役一年に、

被告人佐藤新一を懲役九月に、

被告人松井一郎を懲役二年に、

被告人加藤光夫を懲役一年三月に、

被告人戸根木光治を懲役四月に、

被告人川村金吾を懲役一年に、

被告人志村保夫を懲役六月に、

被告人鈴木勲を懲役四月に、

被告人鈴木覚を懲役四月に、

被告人高橋達を懲役四月に、

被告人加藤虎司を懲役六月に、

各処する。

本裁判確定の日から、被告人久野新一、同松井一郎及び同加藤光夫に対しいずれも三年間、その余の被告人等に対しいずれも二年間、それぞれ右各刑の執行を猶予する。

原審及び当審の訴訟費用は全部被告人等の連帯負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人柳生常治郎が被告人久野新一、同佐藤新一、同松井一郎及び同加藤光夫のために差し出した控訴趣意書、弁護人大蔵敏彦が被告人池田一夫、同川村金吾、同志村保夫、同鈴木覚、同高橋達及び同加藤虎司のために差し出した控訴趣意書、弁護人海野普吉、同竹下甫及び同高橋竜彦が連名で被告人松井一郎のために差し出した控訴趣意書、弁護人小坂重吉が被告人戸根木光治のために差し出した控訴趣意書、弁護人伊藤公が被告人鈴木勲のために差し出した控訴趣意書並びに検察官鈴木寿一が被告人等全員について差し出した静岡地方検察庁浜松支部検察官検事竹内至作成名義の控訴趣意書にそれぞれ記載してあるとおりであるから、いずれもこれを引用し、これに対して、当裁判所は次のように判断をする。柳生弁護人の論旨第一点ないし第三点、大蔵弁護人の論旨第三点及び第四点、海野、竹下、高橋弁護人連名の論旨第一点、小坂弁護人の論旨第一点並びに伊藤弁護人の論旨第三点について

一、足立篤郎方の女中村松幸子が、昭和三七年六月四日午前一一時頃、足立方鶏舎に立ち寄つたまま失踪し、その後同年八月八日、足立方から余り遠くない西南方の山林の中で、白骨死体となつているのを発見されたことが明らかであり、原審が取り調べた証拠及び証拠物並びに当審の事実取調の結果に徴して認められる幸子の失踪の状況及び発見された同人の死体の状況等に照らせば、同人は自殺したものと認められる。

しかし、記録及び証拠物を精査し、且つ当審の事実取調の結果を検討しても、幸子の自殺の動機原因については、当裁判所を確信させるに足りる事情を発見することができず、ましてや、同人の自殺の動機原因が、本件文書にいうように、足立篤郎が、妻常子の外遊中、幸子を強姦し、その後も情交を続けて同女を姙娠させたところ、外遊から帰つて二人の関係を知つた常子が昼夜の別なく幸子を責めたことにあると確信するに足りる資料は見当らない。

もつとも、人が自殺するときは、多くの場合、遺書を残しているようであるが、幸子の遺書は何処からも発見されていない。そして、幸子が失踪して間もなく、常子が、戸塚なるみ(旧姓牧野)と共に、幸子の持物を整理していることが明らかであるから、もし幸子が遺書を残していたとすれば、その際常子等の目に留つた筈であり、同女等がこれを発見しながらことさらこれをかくしたと疑う余地もないわけではなく、もしそうだとすれば、幸子の遺書には、足立夫妻に都合の悪いことが書いてあつたのではないかとさえ疑う余地があるわけであるが、原審が取り調べた証拠及び証拠物並びに当審の事実取調の結果を精査しても、幸子が遺書を残した事実はもち論、常子等がこれを発見しながらかくしてしまつたと認めるに足りる資料は全く見当らない。録音テープの証拠能力ないしは証明力については後述するところであるが、録音テープに「書置き」という言葉が聞かれるとしても、単に「書置き」という単語が聞かれるだけであつて、その前後の脈絡がはつきりせず、果して幸子の書置きがあつたというのか、それとも自殺する以上は書置きがある筈だというのか或はまた書置きがあれば幸子の自殺の動機原因がはつきりして好都合だというのか等が明らかでないのであるから、このことによつて、右判断を左右するわけにはいかない。また、失踪したと判れば、直ちに警察に捜索願を出したり、近所の人に頼んで山狩りをして貰うのが人情であるのに、幸子の父から警察に捜索願が出されたのは失踪後約二〇日を経た昭和三七年六月二五日であり、足立方からは遂に警察に捜索願は出されておらず、また近所の人に山狩りを頼んでもいないことが明らかであり、これらの事実も足立夫妻に幸子の失踪の真相を世間に知られたくない特別の事情があつたことを疑わせる余地がないでもないが、幸子の両親としても、まさか幸子が自殺するとまでは考えておらず、その上年若い未婚の女性のことでもあり、また奉公先の名誉を傷つけないため、極力内聞にして、その行方を探していたため、自然と警察に捜索願を出すのがおくれ、また一方足立夫妻としても、同様まさか幸子が自殺するとまでは思つておらず、その上、年若い未婚の女性の将来を考え、また自家の名誉を保ちたい考えから、なるべく失踪の事実を内聞にしておきたいという配慮から、進んで警察に捜索願を出さず、また近所の人に山狩りを頼まなかつたとしても、あえて異とするには当らないと考えられるから、これらの事情をもつて、本件文書に記載された事実の真実性を証明する証拠とすることはできない。なお所論の中には、近村の人が足立方に山狩りを申し出たが断られたという趣旨の主張をするものもあるが、記録及び証拠物を精査し、且つ当審の事実取調の結果を検討しても、右事実を認めるに足りる資料は見当らない。

幸子失踪後、常子が、近所の人に、幸子は、東京にお嫁に行くため、実家に帰つたという趣旨のいいつくろいをしていた事実もうかがえるが、これとても、このような場合、世間体をつくろうため、しばしば見られるところであつて、あえて異とするには当らないから、このことをもつて、本件文書に記載された事実の真実性を証明する証拠とすることもできない。

足立夫妻は、幸子失踪のわずか三日後の昭和三七年六月七日に、幸子の母親を呼びつけて、幸子の解雇を申し渡すと共に幸子の荷物を引き取らせ、なおその頃幸子の住民登録の移動していることが明らかであり、長年雇つていた女中が突然失踪した際の解雇の仕方については若干不可解な感がないでもないが、これとても、足立夫妻が弁解しているように、足立夫妻としては無断で家出した女中が戻つて来ても今まで通り使うわけにはいかないという気持でおり、他方幸子の母親としても幸子が無断で家出して奉公先に迷惑をかけて申訳けないという気持でいたところから、早急に幸子を解雇することとして、荷物を引き取らせると共にその住民登録を移動するということは当然ありうることであつて、あえて異とするには当らないから、このことをもつてしても、本件文書に記載された事実の真実性を証明する証拠とすることはできない。

篤郎が常子に墓場や焼場の方を探したかと聞き、なお足立夫妻がその方面を探した事実もうかがえるが、戸塚なるみが幸子が足立方の鶏舎から西の方に向つて歩いて行くのを見たのが最後で、その後幸子の行方が不明になつたものと認められるから、篤郎が常子は足立方鶏舎の西南方に当る墓地や焼場を探したかと聞いたり、足立夫妻等がその方面を探したことはまことに当然であつて、これらのことを本件文書に記載された事実の真実性を証明する証拠とすることはとうていできない。

幸子の葬儀が親元で行われ、足立方で行われていないこともまた明らかであるが、相当長期間奉公していたとはいえ、女中の葬儀を使用者方で行うという慣習は見当らないのであるから、足立夫妻が自宅で幸子の葬儀をしてやらなかつたとしても少しも異とすべきところはなく、このことをもつて、本件文書に記載された事実の真実性を証明する証拠とすることもできない。

なお、所論は、常子が、幸子の毛髪を掴んで引き摺り廻す等し、幸子の悲鳴が道路まで聞える程ひどく同人をいじめた事実があると主張するが、記録に現われた証拠及び証拠物並びに当審の事実取調の結果を検討しても、そのような噂が立てられていた事実を認めることができるに止まり、とうていそのような事実があつたと認めるに足りる証拠はなく、却つて足立方は相当広大な邸宅で、住宅から道路までの間には相当の距離があり、屋内の悲鳴等が道路まで聞えるとは考えられず、また常子が、庭先で、幸子が悲鳴をあげる程ひどく、同人をいじめるということもたやすくは考えられないので、所論のような事実はなかつたものと考えるのが相当と思われる。

所論が主張するその他の各事実も、いずれも、本件文書に記載された事実の真実性を証明する証拠となりうるものとは考えられない。

結局、所論が主張する各事実は、そのどれをとつても、いずれも本件文書に記載された事実の真実性を証明する証拠とすることはできない。もつとも、本件についてはいわゆる直接証拠はなく、所論が主張する各事実はいずれもいわゆる間接証拠であり、その中には、前記のように、幸子の自殺の動機原因と足立夫妻との関連を疑う余地がないでもないものもあるが、右各事実を総合しても、本件文書に記載された事実の真実性を証明するだけの証明力があるものとはとうてい考えられない。

二、録音テープは、原判決が説示しているように、大須賀敏子(旧姓山下)が鈴木郁代(旧姓溝ロ)と会談したのは、大須賀が、被告人佐藤新一からドライブに誘われ、これを断わると今度は中華料理店で食事を振る舞われ、また被告人加藤光夫からも呼び出されて漬物をおくられ、なお伊藤弁護人からも面会を求められたが、そのような機会に本件公判において証拠として提出された鈴木その他の訴訟関係人の供述調書を見せられたため、自分の証言がそれらの供述とくいちがうことを問題にされることをおそれ、鈴木についても、同様自分その他の訴訟関係人の供述調書とのくいちがいが問題にされるに違いないと思い、特に両者の証言がくいちがうことをおそれ、鈴木にその知つているところを確かめようという意図で同人に連絡を取つたところ、鈴木も大須賀の連絡により、全く同人と同様の気持から同人の申出でに同調して会合した際の両名の会話を録取したものと認められる。そうだとすれば、右会談の際には、他の訴訟関係人が述べているような事実の有無、真偽等が話題にのぼり、特に幸子の自殺の動機原因、幸子と足立夫妻との関係が話題にのぼつたことが容易に推測できる。しかも、右両名はいずれも生前幸子と相当親交があつた者であり、特に大須賀は、幸子が失踪する前日に同人から電話を貰つた者であるから、右両名が、幸子の自殺の動機原因、幸子と足立夫妻との関係等について、互にその知つている事実を、隔意なく、自由に話し合つたとすれば、その会話の内容は、本件文書に記載された事実の真実性を証明するについて、極めて重要な証拠となりうべきものであることは多言を要しないところである。

しかも被告人松井一郎は録音テープを聴き取ることができたとして「昭和三九年六月七日収録、於袋井市天理教会境内、『証人』山下敏子、『証人』溝口郁代会話の内容」と題する書面(以下「会話の内容」と略称する。)を提出しており、それによれば、大須賀、鈴木の両名が、本件文書に記載された事実の真実性をある程度証明するかのような会話をしたことが記載されている。

しかし、録音テープは、原判決も詳細に説示しているように、その録音内容が極めて不明確であり、原審が、当の会話をした大須賀及び鈴木の両名に対し、長時間にわたり、何回も繰り返して再生して聞かせたばかりでなく、「会話の内容」を示して聴取させてみたが、右両名は若干の単語については、「会話の内容」に記載されたような言葉を聞き取ることができるし、又「会話の内容」に記載されたような内容の会話があつたと思つて聞けば、そのように聞えるように思われる部分も多少はあるといつた程度で、当の会話をした当人でさえ、その大部分は聴取することができないといつているばかりでなく、当裁判所も、また、何回か録音テープを再生して聞いて、「会話の内容」に記載されたような内容の会話を聴取することができるかどうかを試みてみたが、それはすべて空しい努力に帰し、わずかに若干の単語を聴取することができたにすぎず、また弁護人等があえて弁護人等自身が聴取できたとする会話の内容を主張していないのも、弁護人等としても同様その内容を聴取することができないためと思われる。

してみれば、録音テープは、前記のように、もしその内容を聴取することができるとすれば、本件文書に記載された事実の真実性を証明する有力な証拠となりうるものと思われるが、残念ながら録音内容が極めて不明確であるから、これを直ちに本件文書に記載された事実の真実性を証明する証拠とすることはできないし、また「会話の内容」も、録音内容が不明確である以上、直ちにそれに記載された内容の会話が行われたと認めるわけにはいかないから、これを証拠とするわけにもいかない。

原判決は、録音テープ及び「会話の内容」の証拠能力及び証明力について、(秘密録音テープについての判断)という項目を設けて詳細に説示し、結局録音テープは、証拠能力の点にも甚だしい疑問があるばかりでなく、証明力の全くないものであるとして、これを本件文書に記載された事実の真実性を証明する証拠に供しなかつたが、その理由については多少当裁判所の見解と相違する点があるとしても、その結論においては、当裁判所と意見を全く同じくするものであるから、原判決の右判断を非難することは当らない。

三、原審証人足立篤郎及び同足立常子の各証言は、いずれも必ずしも不自然ではなく、なおこれらを記録に現われている他の証拠及び証拠物並びに当審の事実取調の結果と対比検討しても十分に信用することができるから、これらに信用性がないとする主張は採用できない。

また被告人等の司法警察員及び検察官に対する各供述調書は、記録に現われている他の証拠及び証拠物並びに当審取調の結果と対比検討しても、取調官の誘導による虚偽の供述であると疑うに足りる資料は全く見当らないから、原判決が右各供述調書を証拠に引用したことを非難することは当らない。

四、幸子の白骨死体が発見されて後、その地方に、同人が本件文書に記載されたところと大同小異の動機原因のため自殺したとする噂が流布されたが、これを聞いた被告人久野新一が、これを文書にして頒布しようと考え、被告人松井一郎に協力方を求めたところ、同被告人がその真相を調査するように指示した事実はこれを認めるに十分である。

そして被告人久野新一は、被告人松井一郎の右指示により、幸子の自殺の真相を確かめるため、鳥居哲及び白幡なみに会つたが、その結果、同人等から、(一)常子が、近所の人に、幸子は、東京にお嫁に行くため、実家に帰つたといいつくろつて、幸子の失踪をかくしていたこと、(二)常子が、篤郎に、電話で、幸子が失踪したことを連絡したところ、篤郎が、常子に墓場や焼場を探してみろと指示し、また足立夫妻も自ら犬を連れたりなどして山林を探し歩いたこと、(三)幸子は、失踪から白骨死体が発見されるまで、二ケ月間も行方不明であつたのに、その間、足立方では、近所の人に山狩りを頼んでおらず、また警察に捜索願も出していなかつたこと、(四)幸子の白骨死体が発見されて後、近所の人が足立方に悔みに行つたところ、家では幸子の葬式はしないと云つて断られたこと、(五)幸子は朗らかな性格で、余程のことがなければ自殺するような人柄でないこと、(六)幸子は、常子の外遊中、篤郎に手をつけられて姙娠したのではあるまいかと推測されること、(七)そのため常子が、やきもちをやいて、幸子をいじめたこと、(八)幸子はそれを苦にして自殺したのではあるまいかと推測されること、なお(九)幸子が失踪する一週間前に、農薬ポリドール液が足立方に配給になつたこと等を聞くことができたものと認められる。

しかし、右聞きえた事実中、(一)(二)(三)(四)の各事実については、さきに一において説示したとおり、これらの事実があるからといつて、直ちに本件文書に記載された事実の真実性を証明する証拠となりうるものではなく、従つて、これらの事実があつたからといつて、直ちに被告人等が本件文書に記載された事実を真実であると確信したものとは認めがたく、また(五)(九)の各事実とても、これらの事実があつたからといつて、直ちに被告人等が本件文書に記載された事実が真実であると確信したと認めるに足りる資料とはなりえない。なお(六)(七)(八)はいずれも噂ないしは推測にすぎないものであるから、これらもまた被告人等が本件文書に記載された事実を真実であると確信したと認めるに足りる資料とすることはできない。

その上記録に現われている証拠及び証拠物並びに当審の事実取調の結果を検討しても、篤郎が、本件文書に記載されているように、就寝中の幸子を手籠めにしたというまでの噂が流布されていたと認めるに足りる資料がなく、且つ鳥居哲でさえ(六)(七)(八)の各事実については半信半疑でおり、これらの事実も単に噂ないしは推測として被告人久野新一に話したにすぎないというのであるから、被告人等が本件文書に記載された事実が真実であると確信していたものとはとうてい考えられない。

五、当審の事実取調の結果によれば、以前大須賀の同僚として山梨町商工会に事務員として勤務していたことがある堀内ヒサ子(旧姓幡鎌)が、被告人川村金吾等に聞かれて、幸子が、商工会の事務所に来たり、電話を掛けて来たりして、大須賀に、篤郎から無理に関係させられたことがあるが、どうしたらよいかと相談し、大須賀が商工会の指導員に相談の上、金を百万円位取つてやれと教え、また幸子が篤郎との情事が常子に知れ、常子から折檻されたと話しているのを聞いたという趣旨のことを話した事実があるかのようにみえるが、このような一身上の秘密を人に話すとすれば、特に親しい人に対して、内密に話すのが通常と思われるところ、幸子と大須賀とは相当親しい友人関係にあつたことは認められるものの、記録に現われた証拠及び証拠物並びに当審の事実取調の結果を検討しても、二人の関係が互に一身上の秘密を打ち明け合う程の親交があつたとまでは認めがたく、またこのような一身上の秘密を同室者にも聞える様な大声で話すということも通常ありえないことと思われ、記録に現われた証拠及び証拠物並びに当審の事実取調の結果を検討しても、これを否定するに足りる資料も見当らず、従つて、被告人川村金吾等が堀内から聞いたという話を直ちにそのまま信用することはできず、これを本件文書に記載された事実の真実性を証明する証拠とするわけにはいかない。

他に本件文書に記載された事実の真実性を証明するに足りる証拠がないことはすでに説示したとおりであるから、右事実の真実性が証明できたとする主張は採用できない。

六、従つて論旨はすべて理由がない。

大蔵弁護人の論旨第二点、小坂弁護人の論旨第二点の一並びに伊藤弁護人の論旨第一点について

原判決が挙示している関係証拠によれば、被告人久野新一、同松井一郎、同加藤光夫、同池田一夫及び同佐藤新一等が原判示第一の意図のもとに本件文書を選挙人に郵送することを企図していることを知りながら、被告人川村金吾は、被告人松井一郎の依頼により、用紙及び郵便切手を調達し、且つ被告人志村保夫と共に謄写版印刷機一台を手配した上、一部の被告人等と共に本件文書の印刷に従事し、且つ本件文書の一部を投函し、なお被告人加藤虎司及び同志村保夫に声を掛けて、同被告人等に本件文書の宛名書き等をさせたもの、被告人志村保夫は、被告人川村金吾の依頼により、同被告人と共に謄写版印刷機一台を手配した上一部の被告人等と共に本件文書の印刷に従事し、且つ本件文書の宛名書き等をしたもの、被告人鈴木覚は、被告人加藤虎司の依頼により、一部の被告人等と共に本件文書の印刷に従事し、且つ封筒ののり付け等をしたもの、被告人高橋達は、被告人加藤虎司の依頼により、本件文書封筒入れ等をしたもの、被告人加藤虎司は、被告人川村金吾の依頼により、本件文書の宛名書き等をし、なお被告人鈴木覚、同鈴木勲及び同高橋達に声を掛けて、同被告人等に本件文書の印刷等をさせたもの、被告人戸根木光治は、被告人松井一郎の依頼により、本件文書の宛名書き等をしたもの、被告人鈴木勲は、被告人加藤虎司の依頼により、一部の被告人等と共に本件文書の印刷に従事し、且つ右文書の封筒入れ、切手貼り等をし、なお被告人加藤光夫及び同池田一夫と共にその一部を投函したものであることが明らかであつて、被告人川村金吾、同志村保夫、同鈴木覚、同高橋達、同加藤虎司、同戸根木光治及び同鈴木勲はいずれも被告人久野新一、同松井一郎、同加藤光夫、同池田一夫及び同佐藤新一等の原判示第一の意図を知りながら、その実行行為の一部に加担したものであるから、被告人等はすべて原判示第一の犯行の共同正犯者であると認めるのが相当である。

なお、原判決が、弁護人が被告人川村金吾、同志村保夫、同鈴木覚、同高橋達及び同加藤虎司についてした、同被告人等の原判示第一の所為は幇助犯である旨の主張に対して判断を示していないことは、所論指摘のとおりであるが、原判決は同被告人等を原判示第一の所為の共同正犯者であると認定したものであつて、弁護人がした、被告人等の右所為は幇助犯にすぎないとする主張を間接的に否定していることが明らかであるから、それ以上特に幇助犯でない旨を判示する必要はない。原判決が弁護人の右主張に対する判断を示さなかつたことをあえて違法とすることは当らない。

従つて、論旨はすべて理由がない。

大蔵弁護人の論旨第一点について

公職選挙法第一四六条違反の罪は、同法第一四二条又は第一四三条の禁止を免れる行為として、公職の候補者の氏名等を表示する文書図画を頒布し又は掲示すれば直ちに成立するのであつて、その文書図画が選挙運動のために使用するものであることは必要であるが、それ以外に、その文書図画を頒布又は掲示するに当り、特定の公職の候補者の当選を得しめ又は得しめない目的があることを必要としないものと解すべきところ、(昭和三〇年(あ)第三、七一八号、昭和三一年四月一三日最高裁判所第二小法廷判決、最高裁判所判例集第一〇巻第四号第五七八頁以下参照)、本件文書はその記載内容に徴し、選挙運動のために使用するものであることが明らかであるから、原判決が、原判示第二の事実について、原判示選挙に静岡県第三区から立候補した太田正光の氏名を表示する文書を作成、配布して頒布した事実を認めただけで、特定の公職の候補者の当選を得しめ又は得しめない目的があつたことを判示しなかつたことはまことに相当であつて、原判示第二の事実摘示には、法令の解釈適用を誤つた違法はないから、論旨は理由がない。

検察官の論旨について

公職選挙法第二二五条第二号は「交通若しくは集会の便を妨げ、演説を妨害し、又は文書図画を毀棄し、その他偽計詐術等不正の方法をもつて選挙の自由を妨害したとき」と規定しているが、ここにいう「選挙の自由」とは議員候補者又はその選挙運動者等が、当該候補者の当選を得るため、法令の規定の範囲内で選挙運動をすることの自由(選挙運動の自由)及び選挙人が、自己の良心に従つて、その適当と認める候補者に投票することの自由(投票の自由)を指すものと解されるが「投票の自由」についていえば、自己の良心に従つて、その適当と認める候補者を選定すること(判断の自由)は、投票するための不可欠の前提条件であるから、「投票の自由」を投票することそれ自体の自由(投票する自由)だけに限るものとし、その不可欠の前提条件である「判断の自由」を特に除外しなければならない理由はないものと解するのが相当である。

もつとも、右規定は、「その他偽計詐術等不正の方法」について、「交通若しくは集会の便を妨げ、演説を妨害し、又は文書図画を毀棄」することをその例示として列挙しているだけであつて、交通の便を妨げることが「投票する自由」を妨害することになると思われる以外は、すべてもつぱら「選挙運動の自由」を妨害する行為であり、「判断の自由」を妨害すると思われる行為は含まれていないようにみえるが、このことだけから、右規定が「投票の自由」から「判断の自由」を除外していると解することはできないばかりでなく、同条第三号は、「投票の自由」についていえば、「判断の自由」をも保障しようとするものであつて、「投票する自由」だけを保障しようとするものとは考えられず、又職権濫用による選挙の自由妨害罪を規定している同法第二二六条第二項も、また、「投票する自由」よりはむしろ「判断の自由」を保障しようとしているものと解されることに徴すれば、「投票の自由」を「投票する自由」だけに限定し、「判断の自由」を除外する理由はないものと思われる。

そして、同法第二二五条第二号後段は単に「不正の方法」と規定しているのではなく、「偽計詐術等不正の方法」と規定しており、またその例示として、「交通若しくは集会の便を妨げ、演説を妨害し、又は文書図画を毀棄」することを列挙しているのであるから、「偽計詐術等不正の方法」とは、選挙の自由を妨害する偽計、詐術等の不正の方法で、しかもそれが質的にみて、少なくとも交通や集会の便を妨げたり、演説を妨害したり、文書図画を毀棄する行為に匹敵し、右各行為にまさるともおとらない程選挙の自由を妨害するていのものであることを要するものであり、なおそれが右各行為に匹敵するかどうかは、個々の場合について、具体的に検討、判断すべきものと解すべきものと思われ、これを本件文書のような誹謗文書についていえば、その内容、頒布の時期、方法及び規模等を具体的に検討し、その内容が議員候補者の信用、声価を著しく低下、減退させるような事実を含んでおり、そのため、読者である選挙人をして、当該候補者を投票の対象として考慮する余地がないと判断させるにいたるおそれがあるていのものを、不特定多数の選挙人に対して大規模に頒布し、社会通念上、いわゆる言論の暴力ともいうべき行為が行われたとみられるような事態を発生させたと認められるような場合には、これを質的にみれば、交通や集会の便を妨げたり、演税を妨害したり、文書図画を毀棄する行為に匹敵する程度の行為があつたものと解するのが相当と思われるから、これを「偽計詐術等不正の方法」をもつて、「選挙の自由」を妨害した場合に当るものと解するのが相当である。もつとも、同法第二二五条第一号及び第三号並びに第二二六条は暴行や威力を加えたり、拐引したこと、威迫したこと、職務の執行を怠り、又は正当の理由がなく追随したり、立ち入つたこと、氏名の表示を求めたこと等を処罰の対象としており、且つ同法第二二五条第二号前段は交通や集会の便を妨げたり、演説を妨害したり、文書図画を毀棄したことを処罰の対象としているけれども、同条号後段は、その前段をうけて、「その他偽計詐術等不正の方法をもつて選挙の自由を妨害したとき」と規定しているだけで、その方法については特別の制限を設けていないのであるから、選挙の自由を妨害する偽計、詐術等の不正の行為で、しかもそれが、質的にみて、社会通念上、少なくとも交通や集会の便を妨げたり、演説を妨害したり、文書図画を毀棄する行為に匹敵すると認められる程度のものを同条号後段の適用から特に除外しなければならない理由があるとは思われないし、また同条号後段の規定が広汎且つあいまいな表現をとつていることは否定できないが、以上のように解すれば、同条号後段の規定による処罰の対象は自ら限定されることになるのであるから、右解釈が広きに失し、他の一連の選挙罰則との調和を破ることになるものとも思われない。

そればかりではなく、選挙に関して頒布された誹謗文書に適用されることがありうると思われる罰則の法定刑についてみれば、同法第二二五条は「四年以下の懲役若しくは禁錮又は七万五千円以下の罰金」と規定しているのに対し、同法第二三五条は「二年以下の禁錮又は二万五千円以下の罰金」、刑法第二三〇条第一項は「三年以下の懲役若しくは禁錮又は千円(罰金等臨時措置法第三条第一項第一号により五万円)以下の罰金とそれぞれ規定しているが、誹謗文書は、原判決説示のように、憲法上の制約により、立証が殆んど不可能であるため、事実上公職選挙法第二二五条第二号後段に当る余地がないとすれば、選挙に関する誹謗文書を頒布する行為は、こと選挙に関するものであるところから、当然の名誉毀損罪に対する罰則の法定刑より重い法定刑をもつて処断すべき筋合いであると思われるにもかかわらず、公職選挙法違反罪としては、却つて逆に、それより低い同法第二三五条の法定刑に従つて処断するほかはない結果となり、明らかに法の意図するところに反することになると思われるので、この意味からいつても、選挙に関して誹謗文書を頒布する行為が事実上同法第二二五条第二号後段に当る余地がないとする原判決の見解には賛成することができない。

まして、当裁判所は、前記のように、誹謗文書についていえば、その内容、頒布の時期、方法及び規模等を具体的に検討し、その内容が議員候補者の信用、声価を著しく低下、減退させるような事実を含んでおり、そのため、読者である選挙人をして、当該候補者を投票の対象として考慮する余地がないと判断させるにいたるおそれがあるていのものを、不特定多数の選挙人に対して大規模に頒布した場合には、同法第二二五条第二号後段に当るものと解するものであるから、原判決が、選挙の自由の妨害(例えば得票の減少、選挙人の離反により生じた選挙運動の障害、またはそれ等の結果を生ずる具体的危険)と虚偽事項公表との間の因果関係は、当然閲覧した選挙人の心理について具体的に立証されねばならないとし、この心理的因果関係の探知は、憲法第一五条第四項前段の規定による制約のため法律上殆んど不可能であつて、本件については結局選挙の自由妨害罪の証明がないことに帰するとしている見解にはとうてい賛成することができない。

ところで、原判示第一の文書の記載内容は、原判示のように、昭和三八年一一月二一日施行の衆議院議員総選挙に静岡県第三区から立候補していた足立篤郎及びその妻常子の人格に関し、同人等が村松幸子を自殺に追いやつたものとして、同人等の声望、信用を著しく低下させ、読者である選挙人をして、足立篤郎を右選挙の投票の対象として考慮する余地がないと判断させるにいたるおそれがあると認められるていのものであるところ、被告人等は、原判示のように、同人に当選を得させない目的をもつて、右選挙の投票日に間近い同月一六日から一七日にかけて、浜松市内等の選挙人に本件文書約二、五〇〇枚を約一、〇〇〇通の封書に封入して郵送して頒布したものであることが明らかであるから、被告人等の原判示第一の所為は、公職の候補者である足立篤郎に関し、虚偽の事項を公にすると共に、公然事実を摘示して、足立夫妻の名誉を毀損することはもち論、これと同時に、「偽計詐術等不正の方法」によつて選挙人の選挙の自由(判断の自由)を妨害したものと認めるのが相当である。従つて、選挙の自由の妨害と虚偽事項公表との間の因果関係は選挙人の心理について具体的に立証されなければならないことを前提として被告人等の原判示第一の所為が公職選挙法第二二五条第二号後段に当ることの証明がないとした原判決には法令の適用を誤つた違法があり、この違法は、判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄を免れず、論旨は理由がある。

よつて、本件控訴は理由があるから、柳生弁護人の論旨第四点、大蔵弁護人の論旨第五点及び第六点、海野、竹下、高橋弁護人連名の論旨第二点、小坂弁護人の論旨第二点の二及び伊藤弁護人の論旨第二点に対する判断を省略し、刑事訴訟法第三九七条第一項、第三八〇条により、原判決を破棄した上、同法第四〇〇条の規定に従い、更に、自ら次のように判決をする。

(罪となるべき事実)

罪となるべき事実は、原判示第一の事実中「虚偽の事実を公に」の次に「し、且つ不正の方法をもつて、選挙人の選挙の自由を妨害」を挿入した外は、すべて原判決摘示のとおりであるから、これを引用する。

(証拠の標目)

証拠の標目はすべて原判決摘示のとおりであるからこれを引用する。

(法令の適用)

被告人等の判示第一の所為中、虚偽事項を公表した罪は公職選挙法第二三五条第二号、刑法第六〇条に、選挙の自由を妨害した罪は公職選挙法第二二五条第二号後段、刑法第六〇条に、名誉を毀損した罪は各刑法第二三〇条第一項、罰金等臨時措置法第三条第一項第一号、刑法第六〇条に、被告人池田一夫の原判示第二の所為及び被告人佐藤新一の原判示第三の所為は各公職選挙法第一四六条、第二四三条第五号、刑法第六〇条(原判示第二の(四)及び第三につき)に各該当するところ、判示第一の各所為は一個の行為で数個の罪名に触れる場合であるから、刑法第五四条第一項前段、第一〇条により、最も重い選挙の自由妨害罪の刑をもつて処断することとし、いずれも懲役刑を選択し、なお被告人池田一夫の原判示第二の各所為及び被告人佐藤新一の原判示第三の所為についてはいずれも所定刑中禁錮刑を選択し、右はいずれも同被告人等の判示第一の所為と刑法第四五条前段の併合罪の関係にあるから、同法第四七条本文、第一〇条により、それぞれ重い判示第一の罪の刑に法定の加重をし、いずれも所定の処断刑期範囲内において、被告人等をそれぞれ主文第二項記載の刑に処し、情状により、同法第二五条第一項に従い、被告人等に対し、それぞれ主文第三項記載の期間右各刑の執行を猶予し、なお原審及び当審の訴訟費用は、刑事訴訟法第一八一条第一項本文、第一八二条により、被告人等に連帯して負担させることとして、主文のように判決をする。

(裁判官 白河六郎 河本文夫 藤野英一)

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